あ行

「井 筒」いづつ

奈良七大寺を拝み巡った旅僧(ワキ)が、在原寺に立寄った。ここは昔、在原業平が紀有常(きのありつね)の娘と共に住んだ旧跡だから、僧は夫婦の跡を弔う。そこに若い女(シテ)が古井戸の水を汲んで古塚に回向していたが、声をかけると業平の故事を語った。
昔業平はここ石上(いそのかみ)に紀有常の娘とむつまじく住んだが、別に河内の高安にも忍んで通った。妻は夫の身を案じて「風吹けば沖つ白波龍田山夜半にや君のひとり越ゆらん」と詠んだので、業平もその後は河内へ行かなくなったものだ。
 この二人は幼な友で、ずっと以前は板囲いの井戸に並んで遊んだ。長じてから男は「筒井筒井筒にかけしまろが丈生ひにけらしな妹見ざるまに」と詠み、女は「くらべこし振分髪も肩過ぎぬ君ならずして誰かあくべき」と返歌した。そうした話の末に、自分こそ井筒の女、その時の娘だと身を明かして、薄(すすき)生(お)う井筒の陰にその姿は見えなくなった(中入)。
 僧が一夜をこの寺に過すと、夢中にさきの有常の娘の霊(後シテ)が今度は業平の形見の冠や直衣(のうし)を身に着けて現われる。思い出を口ずさみながら女は美しい舞(序ノ舞)を舞い、井戸に袖をかけて昔のようにのぞく。すると今は業平の衣を着ているから業平その人にみえてなつかしさはひとしおである。しかし夜明けごろ、僧の夢はさめて女の姿はかき消える。

「梅 枝 越天楽」 うめがえ

~平成21年4月18日京都観世会館「京都春の梅若能」にて梅若 玄祥が能 梅枝 越天楽を演じた。当日出された梅若玄祥解説文より抜粋~
この梅枝の越天楽という小書は舞の部分が盤渉調になるという特色があります。
これは二代実の創作によるもので、永らく絶えておりましたが、父五十五世梅若六郎が40年ほど前に復活させ上演いたしました。以降3,4回の演能を重ね、近年では私が国立能楽堂で、初めて越天楽を演能させていただきました。
 さて、前場はさほど変わりはありませんが、終始作り物の中に居て、中入り前に作り物よりいで、中入りとなります。
後場の装束は長袴をはき、長絹または舞衣をつけ鳥兜をかぶるという姿です。
後の型そのものは常とあまり変わりはないのですが、前述のように舞が盤渉調になるものの、富士太鼓の現之楽のように緩急の変化があまりなく、しっとりとした舞となります。
キリは謡のうちに幕に入ります。このように全体を通しては際立った変化はありませんが、この曲は愁傷の心持を表に出した演出となります。この盤渉調という調子が夫への恋慕の情をかきたてるようになるのではないでしょうか。
皆様はどのようにお感じに頂けますでしょうか?

「江 口」 えぐち

 諸国一見の僧(ワキ)が天王寺参詣の途中、摂津の江口の里に来た。ここは昔船着場として栄え、多くの遊女のいた所である。かつて西行法師がここで一夜の宿を求めたのに承知してもらえず「世の中を 厭ふまでこそ難からめ仮の宿りを惜しむ君かな」と詠んだことを思い出して、僧がふとそれを口ずさむと、ちょうど来かかった里の女(シテ)が、私は惜しみはしなかったのですと答えた。ただ、色好みの宿に世捨人が立寄るのはどうかと思ったから「世を厭ふ人とし聞けば仮の宿に心留むなと思うばかりぞ」と詠んだのです。自分はその時の遊女の幽霊なのです、といいすてて、女の姿は消えた(中入)。
 僧が今の幽霊を弔おうとしていると、不思議なことに月の澄み渡った川に遊女達(シテとツレ二人)の謡いさざめく声が聞えて、江口の君の川逍遙の夜舟が見えてくる。それはその昔の遊女達の、嘆きの歌声である。盛粧は春の花の散り、秋の紅葉の朝霜に色あせるようにはいかない。しかも遊女は美しい袖をひらめかして舞う(序ノ舞)。
 迷いはこの仮の世に心を留めるからである。そう詠んで人をいさめた自分だ、さあ妄執を去ってもう帰りましょうといったかと思うと、遊女の姿は突然普賢菩薩に変り、舟は白象となり、光明を放ってそのまま白雲に乗り、遙か西の空へと行き給うのであった。

「 翁 」 おきな

今でも諸能の冠頭に演じられるものながら、構成等は全く他の能一般とは違って天下泰平国土安穏を祈祷する一種の祭典であり、遠く原始申楽から伝わった、舞台の浄めである。
翁(シテ)、千歳(ツレ)、三番叟(狂言方)の歌舞からなっているが、歌詞はめでたい断章をを綴っているので、一貫した意味がない。いわば囃詞を見るべきで、この詞章を特に「神歌」とも呼んでいる。また異式の演出も多いが、普通に行われているものは「四日之式」といわれる形式である。江戸時代の勧進能の日数は貞享のころまでは四日間であったのが、寛延以来は十数日に及び、四日目以降はすべてこの四日目式で通したためといわれる。
上演以前に別火(べっか)斎戒した演者は、当日楽屋に設けられた祭壇の神酒をいただき面箱持(狂言方)を先立ててシテ、千歳、三番叟、囃子方、地謡方、狂言後見の順に登場する。シテは正面先で恭しく敬礼し、地謡座前に着座する。面箱持はその前で面箱をひらき、地謡方は囃子方の背後に居並ぶ。すべて最高の礼装である。笛が吹出し、小鼓三丁の連調の手を聞いてシテは謡い出す。千歳の舞の間にはシテは自ら面を付けて出、謡あって神楽を舞う。済んで面を脱ぎ、再び礼をして退場する(いわゆる翁帰り)。あとは三番叟の舞となる。