か行

「通小町」 かよいこまち

比叡山の西麓、八瀬の山里で夏季三ヶ月の籠居精進をしている僧があった。そこへ毎日木の実や薪を届けてくる女があった。僧が、問答の末に名を尋ねると、女は小野小町の化身であることをほのめかし、姿を消した。
市原野に赴いた僧が、熱心に経文を唱えていると小町の霊は回向を喜んで再び姿を見せた。しかし、その後方には痩せ衰えた物凄い、もう一人の亡霊があって、「小町を弔ってくれるな、お僧はどうか帰ってくれ」とうめく。その上小町の袂にすがるところをみると、これはまさしく深草少将の怨霊である。
生前、「百夜通えば」という小町の言葉通り毎夜通い続けた少将は、九十九日目に思いを果たせぬまま死んでしまったのであった。そういって怨霊は生前の百夜通いの様を示していたが、僧の回向によって、やがて二人の霊は合掌してともどもに成仏してゆく。

「清 経」 きよつね

左中将清経は筑紫の戦に破れ、平家再起の望みを失って、雑兵の手にかかるよりはと思ったのだろう、豊前柳が浦の沖でで夜舟から身を投げて自殺した。
家臣の粟津三郎は舟の中に遺された鬢の髪を持って都に上り、清経の妻を訪ねて最後の様子を語った。妻は戦士か病死ならばともかく、自ら入水して果てた夫を怨んで歎いたうえ「見るたびに心尽くしのかみなればうさにぞ返すもとの社に」と詠んで、思い寝の夢になりとも逢いたいと願いつつ涙ながらにまどろんだ。するとその心が通じたものか、清経の亡霊が夢中に現われた。折角見よと贈った形見を返したいとは不実ではないか、と霊はいい、妻は夫の自害をせめる。そうしているうちに、夫はそれまでの有様を語って怨み心を慰めようと語り出す。
幼帝安徳天皇の一行が宇佐八幡御参詣の時、人々の祈誓のかいもなく「世の中のうさには神もなきものを何祈るらん心づくしに」との神託があったので、この上はとても長らえられない身と覚悟して、とうとう身を投げたのだ、そう詳細な仕形話で語った霊は、しかし突然に修羅道の苦しみをみせる。雨は矢となり、土には劔が林立する恐ろしい様子であるが、実は最期の時の心乱れぬ念仏のために、成仏得脱することができたのであった。

「小鍛冶」 こかじ

不思議なご霊夢をうけさせられた一條院は橘道成(ワキヅレ)を勅使として三條の小鍛冶宗近(ワキ)の私宅へつかわされた。御劒を打てとの御下命なのである。宗近が思うのに、このような大事には自分に劣らぬ相鎚の者が必要であるのに、それがいない。神力を頼む他に法がないので、氏の神である稲荷明神に参詣した。
ところが路に不思議な童子(シテ)がいて、宗近を呼びとめ、御劒を打つべき命をうけたであろう、苦しむことはないといい、和漢の名劒の威徳を語り、日本武尊が草薙の劒をもって東夷を平らげた故事をも語る。その上、家に帰って用意をすればその時自分も通力の身を変じて汝を助けようといったと思うと、夕雲の稲荷山にその姿を消した。(中入)
驚いて帰った宗近が祭壇を築いて肝胆を砕いて祈願すると、稲荷明神(後シテ)が童男の姿で出現し給うた。喜ぶ宗近が教えの鎚をはったと打つと、明神も従ってちょうと打つ。こうしてたちまち御劒は打ち上がったが、表には小鍛冶宗近、裏には相打ちの小狐と銘がうたれ、御劒は勅使に捧げられたのである。これが天下第一の二つの銘の御劒で、これによって四海を治めれば五穀成就は間違いない。明神はそう告げるとまた叢雲に飛び乗って稲荷山へと去ってゆかれた。