な行

「錦 木」 にしきぎ

 旅僧(ワキ)が陸奥の狭布の里で夫婦の市人(シテ・ツレ)に逢った。女は鳥の羽で織った布、男は美しく飾った木を持っている。聞けばいずれもこのところの名物で布は細布といって「胸合い難い」恋のたとえ、男の持つのは錦木で、恋のしるしに女の家の門に立てるものだそうだ。女は逢うべき男の錦木は内へとり入れ、逢いたくないものにはそのままに置くので、昔三年も錦木を立て続けて遂に落命し、その錦木と共に突籠められた錦塚があるという。二人は僧をその塚に案内すると、そのまま塚の内へと消えた。(中入)
 僧が夜もすが読経して供養すると、夫婦の亡魂(後シテ・後ツレ)が現れる。「いふならく奈落の底に入りぬれば刹利も首陀も変らざりけり(高岳親王)」。
 女は塚の内で細布の機を織り、男は錦木をもって閉された門を叩く。しかし内からは答えがなく、ただ機の音に虫の音が混って「きりはたりちょう、きりはたりちょう」と聞こえるばかりである。こうして遂に三年たった今、「錦木は千束になりぬ今こそは人に知られぬ閨の内見め(袖中妙)」と、漸く相逢うことができた、そういって亡者は喜びの舞(早舞)を舞う。
 それは美しい夜遊の舞姿であるけれども、夜明けとともに僧の夢はさめて、松風の吹くそこには、野中の塚が残っているばかりであった。

「野 守」 の も り

出羽羽黒山の山伏(ワキ)が大峰葛城に入る途中、大和の春日の里に立寄った。のどかな春の頃である。来かかった老翁(シテ)があったので、ここの清水の名を問うと「野守の鏡」だと答えた。翁は野守なのだそうだ。 昔雄略天皇が狩をなさった際、はし鷹(鷹狩に用いる小さい鷹)が飛び立ったまま戻らないので、野守(禁猟の野を守る番人)に捜させたところ、「樹の上に待る」と答えた。それは前にある水に映ってみえたのだ。また一説には野守の鏡とは、野を守る鬼の持っている鏡で、それは人の心の内を見通すものだともいう。「はしの鷹の野守の鏡得てしがな(ほしいものだ)思ひ思はずよそながら見む」とは新古今集の歌である。
山伏が鬼神の鏡を見たいと頼むと、翁は水鏡を見よといって塚の内へ消えた(中入り)。
年来功を積んで法力をもつこの山伏が一心に祈願をこめると、しかしやがて銀色に輝く鏡をもった鬼神の姿(後シテ)が塚の中から現れた。それは力強くもまたは猛々しい、恐ろしい姿形である(舞働)。鬼神は東西南北の四方八方を鏡に映し、また天上、地下をも残りなく映して大地を踏み鳴らして闊歩してから、再び奈落の底へと帰ってゆく。 野守の鏡のことは藤原清輔の奥儀抄、源俊頼の無名抄、顕昭法橋の袖中抄にみえる。